■.赤井さんと筋トレをする

 赤井さんの体格は、本当に美しい。無駄のない引き締まった筋肉は、服の上からでは分からないけれど一度脱いでしまえばきっと皆驚く。いわゆる着やせするタイプだ。それは日々の積み重ねによるものだと思うけれど、赤井さんがジムに通っている姿はあまり想像できない。ならお家で一人、励んでいるのだろうか。私はお風呂上りの赤井さんを見ながら、そんなことを考えていた。

「どうした?」
「あっ……ううん!その……私も筋トレしよっかな〜?って」

 当然、“赤井さんの筋肉に見惚れていました” とは言うのは恥ずかしくて、私はそれとなく誤魔化した。でも運良くいけば、一緒にやってみるか? というお誘いがあるかもしれないと内心期待して、赤井さんを見つめ返す。彼は私の口から筋トレというワードが飛び出したのが意外だったのか少し首を傾げていた。

「……気になるのか?どこか」
「うーん……その、かっこいい女の人を見ると羨ましいというか、」
「ホォー。気にもしなかったが」
「実はねっ!家では少しやってるんですけど、一人じゃあんまり続かなくて」
「一緒にやってみたいと?」

 私は心の中で小さくガッツポーズする。もしかしたら表情にも、出ていたかもしれない。赤井さんと同じ筋トレメニューは絶対に出来ないけれど、彼の横でならいつも以上に頑張れる気がする。ちょっとした好奇心から始まった提案だったけれど、上手くいけば私も筋トレを習慣化できるかもしれない。その上、赤井さんの筋トレ姿も見られるなんて、一石二鳥以上だ!

 そうして次の休み、さっそく筋トレをしようと赤井さんのお家へ行くことになった。元々持っていたヨガマットを持参して赤井さんの車に乗り込むと、彼は珍しく黒のタンクトップ姿で微笑みかけている。いつも以上にワイルドな装いと甘い表情に、ドキリと胸が高鳴る。

「おはようございます!赤井さん!」
「ああ、おはよう名前」

 私が助手席に座るなり、赤井さんは慣れた手つきで片手を私の頬に添えてキスをしてくれた。嬉しいけれど、恥ずかしい。頬がだらし無く緩んでしまうのを隠すように、赤井さんの視線から目を逸らすと、彼の髪が少し濡れているのに気づいた。

「あれ……?赤井さん、」
「ああ、先に軽くワンセット済ませてきたんだ」
「えっ?」
「早く目覚めてしまってね。それに最近、体が鈍っていたからな」

 確かに今日の赤井さんは、朝にも関わらず顔がシャキッとしている。早く目が覚めてしまったという点は少し気になるけれど、健康的といえば健康的なのかもしれない。それにしてもワンセットって、一体何をどのくらいやったんだろう。

「すっ、すごい……」
「まあ……というのは建前で、本当はただ名前に良い姿を見せたいと少々張り切ってしまっただけなんだがな」
「っ、え……そんな、赤井さんが?」
「ああ、あれほど熱い視線を受けたんだ。その期待に応えたいと誰しも思うものだろう?」

 そんな風に言われては、思わず顔を手で覆いたくなる。照れる私の反応も、赤井さんはまるで愛おしいというように見つめてくるから、本当に恥ずかしかった。

「おじゃましま〜す……!」

 お部屋に入ると、床に敷いてある黒色のヨガマットに目が入った。赤井さんもこういうの使っているんだと思うと、親近感が湧いて嬉しい。

「さて名前、これからどうしようか」
「そうですよね!えっと……私はこの動画を見ながら、同じようにしていこうかなっと」
「ホォ〜?」
「赤井さんとは別メニューで頑張ります!今日はこうやって一緒に筋トレできるだけでいいので」
「……いいのか、それで?」
「はい!よしっ!しっかり汗をかくまで頑張りますよ!」

 気合いを入れるように軽く拳を握ると、私はヨガマットの上にスマホを置いた。いざ始めようと体勢を整えてみるけれど、赤井さんが何も言わずにこちらを見ているから、すごく気になる。

「その……お、お構いなく?」

 各々進めましょう、という意味を込めて四つん這いのまま赤井さんを見上げると、彼はなんだか楽し気に笑っていた。ん……これは。改めて今の自分の体勢を考えると、凄く恥ずかしい恰好をしているような気がする。

「わっ、笑わないでくださいよー!」

 急いで体勢を崩しながら反論すると、赤井さんは口元を手で覆うようにして笑みを浮かべていた。ちらりと、白い歯が見え隠れしている。

「すまない、名前を笑ったわけじゃないんだ」
「もぅ、!」
「俺はてっきり、二人でトレーニングと言うから別のイメージをしていたよ」
「……ん?」
「だが真剣に筋トレに励もうとする名前を見て、つい愛おしくなってな」

 そう言って赤井さんは私の前にしゃがみ込んだ。後頭部に手が回されたと思ったら、いつの間にか唇が重なっている。私は、“二人でトレーニング”という言葉に赤井さんがどんなイメージをしていたのか聞くこともできず、そのまま勢いに押されてしまった。

「……ん、っ」

 唇を味わうような口づけは思いのほか長く、後手でなんとか支えている上半身がこのままだと持ちそうにない。思わず赤井さんの肩を片手で押すと名残惜しそうに離れてくれたけれど、私が息を吸い込むのと同時にダメ押しのようなキスをされてしまう。

「っん……あ、赤井さんっ!」

 そうじゃないでしょ? と抗議すれば笑って誤魔化された。こういう時は本当に狡い。きっとその笑顔を見せれば、私が何も言えなくなるのを知っていてやっているんだ。

「なら、“ちゃんと”始めようか?」

 その言葉通り、赤井さんは自宅用の鉄棒? みたいな器具に向かっていくと軽々飛んでぶら下がってみせた。ギーッ、ギーッと音を立てながら懸垂を始める赤井さんの姿は、優美だった。いつも慎ましやかに隠れている二の腕は、体が上にいく度に太く張り出し血管がじんわりと浮き出ていて、とにかく迫力が凄い。一度身体を持ち上げるだけでも大変なはずなのに結構なスピードで上下運動を繰り返しているものだから、私は口を開けて見入ってしまっていた。息の詰め方も、一見苦しそうにも見える表情も、全部が惚れ惚れしてしまう。赤井さんの全てが色っぽく見えた。

「名前も……しないのかっ?」

 その言葉にハッとして、赤井さんから視線を逸らすけれど彼が意味深に笑みを浮かべているのがなんとなく分かる。きっと、よっぽど変な顔をしていたに違いない。

「っ、ん……」

 気持ちを切り替えて、私はお尻のトレーニングを始めるため四つん這いになった。動画を見ながら、片足を後ろに伸ばしてくいっくいっと上下に動かしてみる。でも全然集中できない。

「っ、く……っ」

 それはいくら背を向けていても聞こえてしまう、赤井さんの吐息のせいだ。こんな状況で平常心でいられるはずがない。あまりにもセクシーすぎる。まったく、筋トレをしたいと言い出したのは私なのに、一体何を考えているんだろう。でも一度意識してしまっては、この邪念を払いのけることはできそうになかった。

 暫くするとガタンっという音を立てて、赤井さんが懸垂を終えた。背中越しに彼が近づいてくるのを感じながら、ここは何とか“自分の筋トレに集中しています”と伝わるように筋トレに励むフリをしてみる。彼の足音が後方で止まった。

「……あ、っ!」
「膝が横に開いている。あと、腰が反り過ぎだ」

 無防備だったお腹に触れられて、身体がビクンと跳ねてしまった。赤井さんはジムトレーナーのように私の姿勢を直していくけれど、お腹に腕を回されたまま。次第に上から覆いかぶさるように耳元へ顔を寄せられるから、ゾクゾクとしてならない。

「それに……意識しすぎじゃないか?」

 耳の奥まで響いた赤井さんの甘い声に、もう気持ちが持たなかった。完敗した私は体勢を崩し、横座りになって彼を睨む。

「っ、ちょ、っ……ちょっ、っと!!」

 何してくれているんですか! と、爆発しそうな心臓の鼓動を必死に抑えながら赤井さんを睨むけれど、全然効いていない。指先で花を愛でるように頬を撫でられてしまうから、私はそれ以上の言葉を失った。

「……もう、終わりにしようか?」

 こうやって、終始、翻弄されっぱなしの私の気持ちを分かっていて、赤井さんは愉しんでいるに違いない。

「や、やめませんっ!今日は筋トレするって決めたんです!」

 それが分かるからこそ悔しいので、私は意地になってまた四つん這いの姿勢に戻った。

 そうして励むこと四十分。時折、赤井さんからアドバイスされながら、意地悪も受けながらの筋トレはいつも以上に頑張れたと思う。こんなところにまで汗をかくのかと思う程、全身がじんわりと火照っている。水を飲もうとコップに手を伸ばせば、指先が僅かに震えていた。

「ありがとう。名前もよく頑張ったな。お疲れ様」

 タオルで首筋を拭きながら、赤井さんは私の頬へキスを落としてくれた。これはなんだか、ご褒美みたいですごく嬉しい。慣れた手つきでプロティンを作るのも、それを、飲むか? と言って軽く持ち上げる姿も全部、まるでコマーシャルのように様になっている。差し出されるまま口にしたプロティンはよく分からない味だったけれど、唇についた白い泡を啄むように拭われて、ちょっとだけ嬉しかった。

「さあ、次は有酸素だ」
「……有酸素?」
「筋トレの後は、有酸素だ。この方が効率がいい」

 え、待って。もしかして今から走るんですかと言いたいところだけど、それが当たり前のように言われるものだからぐっと堪える。今日はそういう日なのだから、私も頑張るしかない。

「あ、あのっ!でも私、絶対にペース遅いので赤井さんは……」
「ん……?いや、走らないさ」
「えっ、?」
「まずは、シャワーへ」

 じりじりと、迫りくる赤井さんに私は一歩一歩と後退していく。でも気づいたら背中がキッチンカウンターに当たって、逃げ場を失っていた。はっとした時にはもう遅く、赤井さんは私の身体を抱き寄せると首筋にキスをされていた。筋トレしたばかりなのに。汗もかいているのに。そんな思いも赤井さんの火照った身体を前にしては簡単に流されそうになって、必死な思いで彼のシャツを握った。

「…っん……ま、って」

 でも、そうして開いた唇は赤井さんの流れるような動きで簡単に奪われていく。いつもより熱い唇の感触に、身体がぶるりと震えた。彼の唇から漏れ出る吐息は蒸気のような湿気を含んでいて、本能に直接響いてくるようだ。私のなけなしの理性はあっという間に飛んでしまって、すっかり赤井さんの熱に浮かされてしまう。

「っ、ふ……ん、ぁっ」
「……それとも、このままベッドにしようか?」

 そうする気満々じゃないですかと、昼間にしては濃厚すぎる口づけをされた私は蕩けた顔で赤井さんを睨む。こうなるなんて予想外だった。まだ、これから陽が昇っていく時間というのに私たちは何をしているんだろう。でも既に期待し始めてしまった身体は疼いてしまうし、何より窓から差し込む光に照らされた赤井さんの首筋がとても魅惑的で、無意識にごくりと唾を飲んでしまっていた。

「っ……さ、先に、シャワー……行きます、っ」

 俯きながら、囁くような声で白旗を上げると、了解、という愉し気な声が頭上に聞こえた。思わずギュっと赤井さんに抱き着くと、軽々と抱えられてシャワールームへと連れて行かれる。それから目を覚ましたのは、窓の外が茜色になり始めた頃だった。

「うう……痛い、っ」
「それは筋肉が修復されている証拠だよ」

 体は寝返りを打つたびに悲鳴を上げているものだから唸る様にして必死に痛みを訴えたのに、赤井さんは私の頭を優しく撫でるばかり。重症ものの私とは対照的に赤井さんは至って普段通りなのだから、本当に彼の体力は一体どれだけあるのだろうか。全然余裕そうな赤井さんの表情を見て、少し今後が不安になった。